チェコ・フィルハーモニー管弦楽団は、チェコの首都プラハを拠点とする、チェコを代表するオーケストラの1つです。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の起源は1881年にオープニングしたプラハ国民歌劇場の附属オーケストラであった。チェコ・フィルとしての活動は1896年1月4日ドヴォルザークを指揮者に迎えての第1回演奏会に始まる。このコンサートではドヴォルザークが自作の「新世界交響曲」や序曲「オセロ」を指揮している。1908年には、マーラーの指揮で自作の「交響曲第7番「夜の歌」」の世界初演も行われた。
1903年から1918年まで首席指揮者を務めたヴィーレム・ゼマーネクがチェコフィルの組織的な基礎を築いたといわれている。1919年にはヴァーツラフ・ターリッヒが首席指揮者に就き、チェコ・フィルは著しい成長を遂げる。ターリッヒの時代にチェコ・フィルは国際水準にまで実力を上げ、著名な指揮者や独奏者が客演するようになった。ターリッヒは1935年から国民劇場の音楽監督を兼ねるようになり、1941年に当時27歳であったラファエル・クーベリックにチェコフィルを委ね国民劇場に専念することになる。
クーベリックは1934年、つまり20歳の時からチェコ・フィルを指揮していた。クーベリック時代の1946年、チェコ・フィルの創立50周年とチェコスロヴァキアの開放を祝して第1回「プラハの春」音楽祭が催された。この間、終戦後の1945年に主要な産業が国営化されるなかチェコ・フィルも国立のオーケストラとなった。
その後、カレル・アンチェル(1950年~1968年)と続くが、クーベリックは1948年のチェコスロバキア共産党によるクーデターで、カレル・アンチェルはチェコ事件によるチェコの改革運動挫折をきっかけに、西側に亡命してしまうという事態を招く。
1968年からはヴァーツラフ・ノイマンが首席指揮者を務め、地元の作曲家であるスメタナやドヴォルザークの録音や世界各地へのツアーを通じて東側の名門オーケストラとしての地位を築いていく。1989年のチェコの無血民主化革命の中でノイマンのチェコ・フィルは積極的な役割を果たした。そして1990年5月にクーベリックがチェコ・フィルに戻ってくる。「プラハの春」におけるスメタナの「わが祖国」の演奏で復帰を飾った。
チェコの民主化後は1990年にイルジー・ビエロフラーヴェクが就任、継いで1993年よりゲルト・アルブレヒトと続き、1998年よりヴラディーミル・アシュケナージがその座を引き継いだ。2003年からはズデニェク・マーカルが、2009年からはエリアフ・インバルが首席指揮者に就任している。
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