サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団はレニングラードからサンクトペテルブルクに都市名が変わったのに従い、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団から改称された名称です。サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団の設立は1882年。初めは宮廷専用のオーケストラとして宮廷だけで演奏していたが、1912年には一般のコンサートも始まった。アントン・ルビンシュテイン、ミリー・アレクセーヴィチ・パラキレフ、アレクサンドル・グラズノフ等が指揮台に立った他、ニキシュやリヒャルト・シュトラウスもこの頃客演している。
1917年に二月革命が起こり、初代常任指揮者にセルゲイ・クーセヴィツキーを迎えて国立フィルハーモニーと改称して新たに出発。その後、1920年にペトログラード国立フィルハーモニー交響楽団へと改称し、1924年にペトログラードがレニングラードに名を変えるとこのオーケストラはレニングラード国立フィルハーモニーという組織に属するレニングラード・フィルハーモニー交響楽団となった。
1938年、35歳の若きマエストロ、エフゲニー・ムラヴィンスキーが常任指揮者・音楽監督のポストにつき、半世紀にわたりそのポスト就く。ムラヴィンスキー時代に、レニングラード・フィルは全盛期を迎え、名実共にソ連のトップ、世界屈指のオーケストラへの躍進を遂げる。柔らかさと力強さとを兼ね備えた音色と、他の追随を許さないアンサンブルを築き上げた。
1941年にドイツ人のクルト・ザンデルリング、1952年にアルヴィド・ヤンソンスが指揮者陣に加わる。レニングラード・フィルの初来日は1958年、ムラヴィンスキーとの初来日は1973年の事である。その際の日本の聴衆に与えた強烈な感動と印象は30年近く経とうとしている今日でも体験者の間で語り草となっている。1988年にムラヴィンスキーが死去した後、ユーリ・テミルカーノフが音楽監督に就任し現在に至るまで跡を守っている。
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