ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(旧称アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)はオランダのアムステルダムを本拠として活動する欧州屈指の名門オーケストラ。コンセルトヘボウとはオランダ語で「コンサートホール」を意味する言葉で、アムステルダムにコンセルトヘボウがオープンした1888年にコンセルトヘボウの専属オーケストラとして、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は創設された。
初代常任指揮者にはウィレム・ケスが就任し、草創期のコンセルトヘボウの指導にあたった。このオーケストラが一躍世界の注目を浴びることになったのは、その後半世紀に渡ってコンセルトヘボウに君臨したウィレム・メンゲルベルクの時代である。メンゲルベルクは厳格なリハーサルを行い、完璧なアンサンブルを築いていく。
リヒャルト・シュトラウスは自作の交響詩「英雄の生涯」をこのコンビに献呈している。また、マーラーもしばしば指揮台に立っている、マーラー没後には世界で初めての「マーラー音楽祭」が催され、コンセルトヘボウのマーラー演奏の伝統が確立されていった。
1945年メンゲルベルクは親独行為の疑いをかけられ、スイスへの亡命を余儀なくされる。メンゲルベルクの後任には、1931年からエドゥアルト・ファン・ベイヌムが就任。ベイヌムはメンゲルベルクのロマン派的演奏とは対照的な新古典的解釈による演奏を身上とする指揮者でコンセルトヘボウに新風を吹き込んだ。1959年、ベイヌムがわずか57歳の生涯を閉じると、若きオランダ人指揮者ベルナルト・ハイティンクが常任指揮者に抜擢される。1988年には創設100周年を記念して女王から「王立」の称号を授与され、現在の名称「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」に改称された。創立100年を期にハイティンクは常任を退き、リッカルド・シャイーが引き継いだ。その後2004年9月にマリス・ヤンソンスが首席指揮者に就任。同年11月には来日公演が実現する。
|