ドレスデンやベルリンのシュターツカペレとともにドイツで最も古いオーケストラの一つです。宮廷のオペラ劇場に属さないコンサート・オーケストラとしては最古のものに数えられます。1743年に「大コンサート」というコンサートシリーズが16人編成のアンサンブルで始められ、これがゲヴァントハウス管弦楽団の起源となりました。この「大コンサート」は1781年に織物会館(ゲヴァントハウス)内にできたホールに移り、大きな発展を遂げてきました。
1835年にはメンデルスゾーンが指揮者を務め。自作の交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲の他、シューマンの交響曲第1、2、4番、シューベルトの「ザ・グレイト」等が初演されました。メンデルスゾーンが38歳の若さで世を去ったあと、1860年から95年までカール・ライネッケが指揮者を務め、その間の1884年には新しいコンサートホール「ゲヴァントハウス」が造られそこへ本拠地を移した。1895年から22年まではアルトゥール・ニキシュが、1922年にはヴィルヘルム・フルトヴェングラー、1928年からはブルーノ・ワルター、その後、ヘルマン・アーベントロートが務めた。戦後はヘルベル・アルベルト、フランツ・コンヴィチュニー、ヴァーツラフ・ノイマンと続き、1970年からはクルト・マズアが音楽監督を務めた。
東西ドイツ統一後は、優秀な団員の多くが金銭面などで有利な西側のオーケストラに流出したことなどもあり、一時期は技術的水準がかなり落ち込むこととなってしまったが、マズアの後任のヘルベルト・ブロムシュテットがカペルマイスターに就任後は、彼による綿密なトレーニングの成果もあり、技術的水準を回復することとなった。2005年秋からリッカルド・シャイーが指揮者に就任しており、更なる飛躍が期待されている。
|