モントリオール交響楽団は1934年創設され、翌年1月14日プラトーホールにおいてカナダ人指揮者ロザリオ・ブールドンに指揮によって初めてのコンサートが開かれている。その後ウィルフレッド・ペレティエ、イゴール・マルケヴィチが音楽監督となり、1961年には若きズビン・メータが就き、モントリオール交響楽団は著しい成長を遂げた。メータの時代にモントリオール交響楽団はカナダのオーケストラとしては初めてヨーロッパツアーを行なった。メータの後はフランツ=パウル・デッカー、そしてラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスと続いた。1967年には総合文化施設プラスデザールがオープンしその中にあるサル・ウィルフレッド・ペレティエに本拠地を移した。
その後、1977年2月シャルル・デュトワが初めてモントリオール交響楽団を指揮し、その6ヶ月後彼はモントリオール交響楽団の音楽監督に指名され、以来、2002年までデュトワとモントリオール交響楽団の関係が続いていくことになる。デュトワはモントリオール交響楽団を磨き上げ、北米で最も優れたアンサンブルの一つにまで高めた。「フランスのオーケストラよりフランス的なオーケストラ」と呼ばれるようになり、現在では世界有数のオーケストラの一つとして数えられようになる。仏ディスク大賞及びモントルー国際レコード賞に輝いたラヴェルの「ダフニスとクロエ」の録音は楽団の実力を世界に示した名盤として知られている。1996年には、ベルリオーズの「トロイアの人々」の録音によりグラミー賞を受賞している。しかし2002年にデュトワは楽団員と対立し辞任し、その後はケント・ナガノとの活躍が期待されている。
|