バイエルン放送交響楽団はミュンヘンにあるバイエルン放送協会の専属オーケストラとして1949年に設立された。バイエルン放送交響楽団の発足に際しては、バイエルン出身のオイゲン・ヨッフムが招かれた。ヨッフムは新しいオーケストラのために優れたプレイヤーを集め、自らも首席指揮者となってこの若い楽団を育てていくことになった。
結成記念の演奏会は1949年7年13日に開かれ客演指揮者の一人にR.シュトラウスが招かれた。シュトラウスは自作の「カプリッチョ」の一節を指揮したが、彼は2ヶ月後の9月8日にこの世を去ってしまう。シュトラウスにとっての長い音楽生活での最後の指揮となった。ヨッフムの指導のもとバイエルン放送響は短期間の間に急成長を遂げ、ドイツを代表するオーケストラという評価が定着する。
1951年からはミュンヘンの作曲家カール・アマデウス・ハルトマンにより「ムジカ・ヴィーヴァ」という現代音楽シリーズが始められ、バイエルン放送交響楽団は放送局のオーケストラとして現代作品を積極的に取り上げていく。ヨッフムはどちらかと言うとレパートリーがドイツの古典派からロマン派に傾いていたが、ブルックナーの他に宗教音楽にも関心を払う一方、「ムジカ・ヴィーヴァ」のコンサートでも定期的に指揮台に立った。
1960年、ヨッフムはアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に転出する。後任はチェコ出身のラファエル・クーベリックが招かれた。
クーベリックとのコンビは1978年まで続き、バイエルン放送響はマーラーやチェコの作品を積極的に採り上げるようになった。このオーケストラの初来日が実現したのもクーベリック時代の1965年の事である。
クーベリックの後、数年間首席を置かない形での活動が続いたが、1983年秋からコリン・デイヴィスが首席に就任する。1980年代にはレナード・バーンスタインもしばしば客演しており、このコンビでの録音もいくつか遺された。デイヴィスの後、1993年から2003年までロリン・マゼールが首席を務め、2003年の秋からマリス・ヤンソンスが首席指揮者を務めている。
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