1953年、モスクワでオセット人の両親の家庭に生まれる。その後、北オセチア共和国の首都オルジョニキゼ(現在のウラジカフカス)に移り、オルジョニキゼ音楽学校を卒業後、レニングラード音楽院(現サンクトペテルブルク音楽院)でイリヤ・ムーシンに師事し、指揮法を学ぶ。同院在学中にカラヤン指揮者コンクール2位、全ソ指揮者コンクール1位の栄誉に輝く。1977年レニングラード音楽院を卒業し、テミルカーノフの助手としてキーロフ劇場(現在のマリインスキー劇場)の指揮者となる。1988年キーロフ劇場芸術監督に就任する。35歳の若さで、しかもソ連崩壊の混乱期に遭遇し、ゲルギエフの劇場経営は困難を極めたが、国際的な支援を得て、ロシアの古典オペラに新たな演出法を導入した。また、多くの新人歌手(アンナ・ネトレプコなど)を発掘することにも成功し、マリインスキー劇場を世界的な地位へと引き上げた。1996年には総裁に就任し、劇場の総責任者としての重責を担っている。1990年にはロンドン公演、1992年にはニューヨーク公演を実現し、国際的な指揮者としても活躍を続けている。日本には、マリインスキー劇場及びマリインスキー劇場管弦楽団を率いてしばしば来演しているほか、日本のオーケストラにはNHK交響楽団(2002年、2009年NHK音楽祭にて)、東京交響楽団(1984年の日本デビュー時、2007年)へ客演している。
2007年よりロンドン交響楽団の首席指揮者に就任。就任時より公演活動においてはプロコフィエフの楽曲に力を入れる一方、LSO
LIVEレーベルではマーラーの交響曲第6番を皮切りに、順次マーラーの交響曲録音を行っている。
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