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チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
Tonhalle Orchester Zürich |
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2013.2現在 |
設立年 |
1868年 |
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音楽監督 |
デイヴィッド・ジンマン(1995年~)
David
Zinman
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デイヴィッド・
ジンマン |
アメリカの指揮者。ヴァイオリンの早期教育をオバーリン音楽院で受けた後、音楽理論と作曲をミネソタ大学に学び、タングルウッドで指揮活動に着手する。1965年から1977年までオランダ室内管弦楽団の首席指揮者に、1974年から1985年までロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に、1979年から1982年までロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を歴任する。1985年から1988年までボルチモア交響楽団の音楽監督に就任し、シューマンの交響曲集や多くのアメリカ音楽などを含む数々の重要な録音を残すとともに、同楽団を地方のアンサンブルからアメリカ屈指のオーケストラへと育て上げた。
1995年にチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督に迎えられ、翌1996年にはアスペン音楽祭の音楽監督に就任するとともに、ジョン・ホプキンス大学からピーボディ賞を授与された。トーンハレ管弦楽団とは、ベートーヴェンの交響曲全集ならびに序曲全集、ミサ・ソレムニスからなる一連の録音を達成する。
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楽団紹介 |
チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団はスイスのチューリッヒを本拠として活動するオーケストラ。1868年、トーンハレ協会の設立に伴い、このオーケストラを母体として現在のチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団が創設される。設立当初の楽員はわずか33名であったという。初代指揮者には、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でコンサートマスターをしていたフリードリヒ・ヘーガーが呼び寄せられた。
1895年、ブラームスを招いて現在本拠地としているコンサートホール、トーンハレの落成記念コンサートが行われた。ブラームスが自作の「勝利の歌」のタクトをとった後に、初代指揮者のヘーガーがベートーヴェンの交響曲第9番を振って、新トーンハレの第1回コンサートが行われた。27歳の若さでトーンハレ管弦楽団の指揮者となり、オーケストラの土台を築いたヘーガーも1906年に退任し、後任には第2代首席指揮者のフォルクマール・アンドレーエが就任する。ヘーガーが38年率いたオーケストラを、アンドレーエはこの後40年以上にもわたって率いることとなる。アンドレーエはまたブルックナー指揮者としても著名であり、いくつかの録音も残している。
1949年にアンドレーエの弟子でもあったエーリヒ・シュミットがその後任となる。その後、1965年からはルドルフ・ケンペを首席指揮者に迎え、オーケストラは大躍進を遂げてヨーロッパ有数のオーケストラの地位を確立する。このコンビの録音は少ないが、ブルックナーの交響曲第8番などの録音がわずかに残されている。
1967年から1971年まで、シャルル・デュトワがフランス系レパートリーの充実を目的にトーンハレに頻繁に客演している。デュトワはトーンハレの首席指揮者にはならず、その後モントリオール交響楽団に転出、トーンハレにはまたしてもドイツ人指揮者のゲルト・アルブレヒトが首席指揮者に就任する。その後ドイツ人でピアニスト出身の指揮者クリストフ・エッシェンバッハ、そして若杉弘、またもドイツ人のクラウス・ペーター・フロールといった指揮者の首席就任が続いた。
1995年に就任した現在の音楽監督、アメリカ人のデイヴィッド・ジンマンを迎えた事は、トーンハレにとって画期的な人事であった。ジンマンの就任によってトーンハレのアルテノヴァ・レーベルへの録音に火がつく。ベーレンライター版に基づくベートーヴェン交響曲全集はクラシック・ファンの大きな注目を浴び、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲全集やモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集、オネゲルの管弦楽曲集などの録音が多くの人に衝撃を与えた。
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公式HP |
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