ロマン派時代は音楽史では1827年のベートーヴェンの死から1920年頃までの約100年間を指しています。ロマン派音楽は、ロマン主義の精神によって古典派音楽を発展させていった19世紀のヨーロッパを中心とする音楽を指します。バロック音楽や古典派音楽は後世の人々によって名付けられたのですが、ロマン派音楽は、当時の音楽家みずからが自分たちの主義を主張するため自主的にロマン派と名乗っていました。
ロマン派音楽の特徴は、古典派で培われたホモフォニー(和声音楽)がこの時代で円熟し、作曲技法や書法が発展の極みに達し、その様相は多岐にわたって複雑化していきました。ロマン派音楽は、1世紀あまりの間にあまりに多くの表現手法が多様化されることから、音楽史では19世紀の半ばを区切りとして前期ロマン派と後期ロマン派に分けられています。
【前期ロマン派】
前期ロマン派音楽の特徴は、それまで宮廷や教会の専属であった音楽家たちが、独立して、自由な制約のない芸術家になろうとしたことです。また音楽に文学的な要素を取り込んだことは、前期ロマン派音楽の大きな特徴です。
ロマン派前期の先駆者は古典派音楽の最後を飾ったベートーヴェンとシューベルトです。ベートーヴェンが自分の作品、交響曲第6番ヘ長調に「田園」と命名したことから、器楽曲に標題をつけることが盛んになり、ロマン派の時代から「標題音楽」が誕生しました。
代表的な作曲家としては「魔弾の射手」によってドイツオペラを確立したウェーバー。交響曲における標題音楽を確立させたベルリオーズ。交響曲を作曲したメンデルスゾーンやシューマン。ピアノの詩人と呼ばれたショパンなどがいます。
【後期ロマン派】
後期ロマン派音楽は、主にドイツで発展し、さまざまなスタイルが共存しました。代表的な作曲家としては、交響詩を開拓したフランツ・リスト、大規模な管弦楽曲やオペラなどを作曲したリヒャルト・ワーグナー、ワルツ一家で有名なシュトラウス家のヨハン・シュトラウス2世。またヨハネス・ブラームス、アントン・ブルックナー、グスタフ・マーラーは進歩的な音楽とは反対に、古典派音楽の方向性を重んじながらもロマン的な表現を追及して新古典派と呼ばれています。
19世紀後半になると、さまざまな国で民族音楽や民族詩と結びついた民族様式(国民楽派と呼ばれた)が登場しています。ロシアではグリンカにより基礎が作られ、ロシア五人組(ボロディン、キュイ、バラキレフ、ムソルグスキー、コルサコフ)が活躍しました。またモスクワでチャイコフスキーが、ボヘミアでスメタナやドヴォルザークが、ノルウェーでグリーク、フィンランドではシベリウスが国民楽派として活躍しました。
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